「F1サスペンション機構について (1)」

text & illustration by tw (2021/ 7/17〜 2022/ 2/11金)

1989年、フェラーリがフロントサスにトーションバー スプリングを導入。デザイナーはジョン バーナード。
これは金属の棒を捻じる事でバネにするスプリングだ。



(* 下図は筆者による想像図)




バネとしてのトーションバー スプリングの性質は、捻じった量とそれで増加するバネの強さが綺麗に比例すると書物に記述されている。
空力ダウンフォースを活用するレーシングカーは、普通ならば、ほぼ車速の2乗で空力ダウンフォースが増す筈なので、
その垂直荷重を支える為に、当時は地上高(ライド ハイト)を制御する理由でこういうバネが望ましかったのだろう。

一方でコイル スプリングは製造でムラがあるらしく、簡素な形状で製造精度の高いトーションバーがF1界で好まれるきっかけとなったと思う。
昔、同じ強さのバネを生成するには、コイルよりトーションバーの方が質量が少なくて済むという話を聴いた気がするが、筆者は詳しくは知らない。

当時(1989年頃)のF1は、フロントサスがプッシュロッド形式ならば、コイルスプリング&ダンパー ユニットは、モノコックの上面に置くのが主流であったと思う。
ロッカーとダンパーがモノコック上面にあるままでも、コイルスプリングを撤廃して縦置きのトーションバーとすれば、重心高が低くなるメリットもある。

ちなみに2021年のF1マシンのフロントサスもトーションバーであった模様。



1989年、ティレルがフロント サスをモノショック式(中央1本ダンパー&コイル・スプリング)に。






これはサスの性能ではなくて、単純に軽量化が目的の設計だ。

この時期の彼等のF1マシンがフロントのロールをあまり許さなかったみたいで、アンチ ロール バーは固く、
では中央にスプリング&ダンパーを設置して、ロールは無視して、スプリング&ダンパーを1個にしてしまおうという物。軽く済ませたい訳だ。
(当時の最低重量のレギュレーションは、燃料とドライバーを抜いた車輌 500 kg + オンボード カメラ関連の 5 kg で、計 505 kg であった記憶。)

そのロッカーの形状は立体的となり、皿バネだけでロールの移動を制御していた。つまりロール運動にはダンパーの作用は無いのだ...。

ティレルは1989年から1993年までモノショックだったが1994年にツインショックに変えてえらい飛躍したし、
ジョーダンも1991年にモノショックでデビューしたが1994年にツインショックに変えて良くなったし、
ベネトンで1991年に、あのジョン バーナードがモノショックにしても そこそこの車体で、
翌(1992)年にロリー バーン&ロス ブラウンがツインショックにして、その年のドライバーズ ランキングでマクラーレン ホンダのA.セナを3ポイント差で上わまった。(マクラーレンもツインショック。)
(1992年コンストラクター ランキングでは、マクラーレン ホンダ 99ポイント、ベネトン フォード 91ポイントだったが。)

なのでモノショックは駄目だったんじゃないかと私は判断している。ロール運動にダンパー作用が無ければ駄目だったでしょうね。
2021年なんかレッドブル等がロール専用のダンパーを採用していた程だ。

(2022/ 2/13更新分、ここまで。)  [Site TOP]



1992年、ウイリアムズがセミ アクティブ サス実用化。
多分F1の歴史上、圧倒的に異常な最速マシンがこれであって、忘れもしない。
多分当時はGPSが民間利用できなかった。恐らくホイールの回転数から導き出して、今このコースのこのコーナーに居ると計算していたんだと思う。
このシステムの要は、サーキット内で、車体の姿勢変化を空力的に一番良い状態にする目的だ。
ついでに、スロットル全開加速時に、ステアリングのボタンを押すと、地上高(ライドハイト)が上がり、地面効果が低減して、空気抵抗を軽減できる。
誰も勝てなかった。
当時F1ドライバーの鈴木亜久里の証言からして、恐らく多分この時点から、ターンインでオーバーステアだったら前の車高上げてリヤの車高下げて、
コーナー立ち上がりでアンダーステアだったら前の車高下げてリヤの車高上げるとかしてたんだろう。93年には皆してた筈。
翌年の93年にほとんど全チーム皆セミアクティブサスになったが、これらはFIAから可変空力装置として93年限りで禁止になった。

(続く)

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