「2009年ハンガリー予選、F.マッサの事故について」   text by tw  (2009. 7.28火)


2009年 7月25日(土)、F1第10戦ハンガリーGP予選セカンド・ステージにて、フェラーリのフェリペ・マッサ選手が走行中、
他車のパーツがマッサのヘルメットに衝突し、マッサは衝撃と頭部の損傷から意識をほぼ失い、
ストレート・エンドのコーナーを直進し、高速で、正面に近い角度でタイヤバリヤ(タイヤ整列シート付き)へ深く衝突した。

このハンガロリンク・サーキットのこの第2ストレート・エンドでは、
左端ストレートラインにあるマシンをコースの右端へ寄せ、
次に高速の左コーナーへ備えて操舵するのが通常のレーシングラインであるが、
マッサの頭部がストレート走行中に、他車が落としたパーツの衝突に拠る衝撃で(恐らく)一時的に失神してしまった為に、
マシンの位置と角度がストレート左端のまま、次に迫るコーナーを直進し、大クラッシュとなってしまった。

他車のパーツがマッサのヘルメットに追突したが、最後の最後の幸運として、
パーツがバイザーを貫通する事は無く、ヘルメットの高い強度を持つ部分に衝突した事でマッサの命は助かった。



第二ストレートを260km/h〜280km/hの速度で走行中。
画面表示左側のスロットル(緑色)は全開。
マシン上部のカメラでは、前方に小さな黒い物体が映されているが、
ドライバーの視線では観えないかもしれない。





何故か小さな黒い物体が浮き上がって来る。

(次は左下の写真へ。)



小さな黒い物体は、コイル・スプリングである事が確認できる。





スプリングがマッサのヘルメットへ衝突


恐らくマッサはこの時点で気絶。


スロットルとブレーキの両方を100%踏み込んだままとなる。
(画面表示 左側の、赤色がブレーキ)
レコードラインから完全に外れて直進しており、意識を失って居る模様だ。





(動画で確認するとこの時点で握力を失っている)


ステアリングを左へ切ろうという意思は感じられない。
意識は微かに有るか無いかという状態であろう。マシンは直進状態のまま。






















もしスチール・スプリングがバイザーを貫通していたら即死であっただろう。
最後の幸運として、ギリギリの線で彼は一命を取り留めたのだ。



右輪ホイールテザーが切れており、
タイヤバリヤへ突っ込んだ衝撃の大きさが判る。
ホイールテザーはアッパーアーム内に有った事が判る。
サイドポッド前側が衝撃吸収効果を発揮している。











  ブラウンGPのチーム代表のロス・ブラウンは、ハンガロリンクでの予選中に同チームのバリチェロのマシンから脱落し、
マッサのヘルメットに激突した部品は重さが約800グラムあり、スチール製であった事を認めた。
(この部品は、リヤサスのピッチ・コントローラー(サード・ダンパー)のコンペンセーター・スプリングである。)

このスプリングがコースで跳ね、約4秒後にマッサのヘルメットを直撃した。

このスプリングとマッサのヘルメットが衝突した際の速度は、
260km/h 〜 280km/h の範囲であった様だ。

この衝突の瞬間から、マッサ車は直進状態のままとなった。
恐らく意識は微かな状態で、ブレーキペダルを踏めたのは本能かもしれない。
ただ、テレビ画面上のデータからは、マッサは衝撃後、スロットルとベレーキと両2つのペダルを全開にしていた。
もし意識がハッキリとして居たならば、左へステアリングを操舵し、バリヤへの正面衝突は避けられただろう。
映像からは、マッサがステアリングホイールを握る手に力が無い事が観て取れる。
タイヤバリヤへ突っ込み終わった後も、しばしスロットルは全開であった。




事故原因となったのは、ブラウンGPのバリチェロ車の、
リヤサスのピッチ・コントローラーのコイル・スプリングがトラブルで脱落した事で、
一体どういう構造と組み立て作業を行えば それが外れられるのか筆者は理解に苦しむが、
想像するに、カーボン製ギヤボックス・ケーシングの、ロッカー(ベルクランク)の取付け箇所が荷重に拠り破損したのだろうか?
しかし映像で確認できる限り、事実としてバリチェロ車のリヤ・コイル・スプリングは走行中に外れたのだ。
そして4秒後にマッサの頭部を直撃した。
外れた部品がスプリングなので上方へ撥ねていたのだろうか?

こういった事故は、先日の7月19日ブランズ・ハッチでのF2レース中、
ドライバーのヘンリー・サーティース(18才)が、飛んできたホイールに頭部を直撃され死亡したばかりである。



マッサは医療の手でマシンから担ぎ出され、救急車でサーキット内のメディカルセンターへ運ばれた。

メディカルセンターのマッサの所へ駆け付けたR.バリチェッロは、
「彼は意識があったし、動いていて、頭に切り傷がある事にかなり動揺していた。
 そのため、落ち着く様にと鎮静剤を与えられ、病院へ運ばれて行ったんだ。」と語った。

マッサはその後、ヘリコプターで搬送され、ブダペスト市内のAEK病院へ15時20分に到着した。
すべての診察を終えて、彼は額の裂傷、頭蓋骨の損傷、脳しんとうを負っている事が明らかになり、
診断を終えて手術が始まったのはその約1時間後で、緊急手術は無事成功した。
術後の経過も順調で、引き続き集中治療室で看護を受けていると発表された。

25日午後遅くに開催された記者会見で同病院のペーター・バジョ医長は、
「マッサの容態は深刻であり生命にかかわるが、安定している」
同病院のラヨス・ジロス外科部長とバジョ医長は、「負傷の重症度を考えマッサは麻酔で眠らせていると説明した。
また予防措置として人工呼吸器がつけられている。」とコメントした。

第一子を妊娠して5ヶ月目の妻ラファエラと、マッサの両親ルイス・アントニオとアナ・エレーナは25日夜、
マッサに付き添うため、主治医のディノ・アルトマンとともにブラジルからハンガリーへ向かった。

25日夜病院を訪れたバーニー・エクレストンは「良く無いね。こういった事はもう起こらないと思って居た。
シド・ワトキンス教授がこの件を検討する予定だ。すぐにでも対策を考える」と述べた。



脳のCTスキャンの結果は安心できるもので「この種の損傷に関連するものとしては想定内の結果だった」と医師からコメントされた。
そして、マッサが現在も急性期の処置を受けていること、家族が到着した際に少し意識を取り戻したことも発表されたが、
その一方で回復に要する期間などの詳細な情報に関しては明らかにされなかった。
また、図らずも事故の関係者となってしまったバリチェッロはマッサのお見舞いを熱望。
「病院へ行って、彼に会えればと願っている。昨夜はそれを許してもらえなかった。彼に会いたい。
 ちょっと感情的になっているし、胃が焼けるような感じだ」と語り、マッサとの面会を願っていた。



1994年のイモラの後でも筆者は思ったが、炎上事故の可能性が低い現在のフォーミュラーカーならば、
透明で強靭な素材でドライバーの頭部を完全に覆うキャノピーを装着するべきなのではないだろうか。
筆者は提言する。格好など気にする必要など無く、命を守る事が最も重要なのだと。
A.セナ、K.ヴェンドリンガー、サーティースJr、F.マッサからのメッセージを決して無視してはならない。


(このページのの最新更新日:2009. 7.28火
Site TOP フェラーリ index