アイルトン・セナの記憶。(1)

text by tw (2021/ 5/07金)

もう43歳のオッサンになると、時代の語りべにならないといけないなと思う次第でここに記す。
筆者がF1GPを観始めたのは1990年15戦 日本GPからである。
その為、F1GPへ対するリアルタイムな記憶はその時からである。

1990年15戦 日本GP決勝(鈴鹿サーキット)

予選でマクラーレン・ホンダのA.セナはポールポジションを獲得したが、政治的な圧力でスタート位置は強制的に路面の汚れたイン側とされた。
これはFISAのジャンマリー・バレストル(フランス人)の陰謀である。
路面の汚れたイン側とされるならば、ポールポジションを獲る意味はどこにあるのだろうか???

予選2番手のフェラーリのアラン・プロスト(フランス人でバレストルと結託していた)は、
電子制御のトラクションコントロールを搭載していて、スタートの加速に自信があった。

この状況から、A.セナはスタートでプロストに先行される事を予期していた。
そこでセナはもしプロストが先行したら突撃してやろうと決めた。
実際、決勝のスタートはプロストが先行し、セナは遅れた。
そしてセナはフルスロットルでプロストのイン側へ突撃する。セナの故意で両者は接触、コースアウトした。
ちなみにプロストへぶつかった際もセナのスロットルが全開であったと、音を聞いたコースサイドのカメラマンが証言している。

これだけ書くとセナが悪者みたいだが、前年度1989年の鈴鹿、決勝レースで、
プロストを抜きにシケインでインを差したセナが、プロストが故意でインへ寄せて接触し、
プロストはマシンを降りたが、セナがマーシャルのエンジン押しがけで再スタートし、
安全の為にシケインをショートカットしてからの1位チェッカーを果たしたが、
ガレージ奥でバレストルとプロストがセナをどう失格にするか密談しているのをホンダのメカが目撃している。
これはスポーツとして決して許されない事なのだ。
そしてセナはエンジン押しがけは違反だ、シケイン不通過は違反だ、と2重の後付けルールを云われ失格になり、チャンピオンはプロストとされた。

そういう出来事の次の年の事なので、新たな政治的圧力による妨害を受けたセナは半ばテロ行為に出たのだった。
結果、セナへ1990年のワールドチャンピオンが転がり込んだ。
プロストは、自身で好きでインを閉めて接触したのだから当然の報いでもあるとも云える。

このセナの行為は様々な論争を呼んだが、翌(1991)年、セナはあの接触は故意であったと正直に認めている。
セナはブラジル人で、F1の本場のヨーロッパから見たら外人である。
個人の外人とヨーロッパ人達の統治の戦争という図式が、この89〜90年程クローズアップされた年は無いだろう。
セナはほぼ独りでヨーロッパのF1社会と闘っていたのである。
尚、このページで読者の皆様へ伝えられたセナの本来の凄さは素粒子1個分すら無く、本領発揮については次ページへ続く。

(2) 6速のみ神がかりの勝利

(3) 死闘モナコGP

(4) 伝説の4台抜きオープニングラップ

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