アイルトン・セナ 事故原因の真相考察  分析考察 & text by tw (1994.5.02 〜 2009.6.19)



1994年 5月01日、F1GP 第3戦サンマリノGP決勝がイモラ・サーキットにて行われた。

前日の土曜・予選時に、ローランド・ラッツェンバーガー選手も高速ビルニューヴ・コーナーを直進し事故死してしまっている。
これで過去十数年に渡ってF1GPで死亡事故が発生していなかった、
カーボン・ファイバー・モノコックの安全神話は崩れ去った。

そしてセナも決勝レースの7周目に、高速タンブレロ・コーナーの後半区間でマシンが直進し、事故死してしまった。




セナは元より大径のステアリング・ホイールを好んで使用していたが、
移籍先の(1994年)ウイリアムズのマシンは空力性能を重視し、
ステアリング・ホイールの周りを完全にモノコックで覆う構造としており、
結果的にステアリング・ホイールは小径の物しか装着できなかった。

この事から、セナはウイリアムズ・チームの技術陣へ、
ステアリング・ホイールの直径が小さい事について不満を述べ続けて居た。

そしてチームは、1994年 第3戦 サンマリノGPに、
ステアリング・コラムの位置を数cm下げ、応急処置として、直径の異なる小さなパイプでステアリング・シャフトを繋げ、溶接した物を投入 した。

本来、強度上、直径22mm(以上必要であったであろう筈の)シャフトを、
直径18mmの細いパイプで接合してしまっている時点で、当時のウイリアムズ・チームが行った仕事の「軽率さ(?)」が想像される。

そして決勝レース中にクラッシュしたセナのマシンから、駆け付けた医師団がステアリング・ホイールを抜き取ろうとした際に、既に折れてい たシャフトごとステアリング・ホイールが抜け取れた。

果たして、タンブレロ走行中にシャフトが断裂してコースアウトしたのか、
または、クラッシュ時の衝撃が原因でシャフトが断裂したのか…? 果たして…?





下図は、1994年 第3戦サンマリノGP 決勝、7周目のセナのテレメトリー・データ。(* この情報元はあくまでF1誌やネットから。)

1994.5.1senna



・ それでは、事故原因に関与している可能性のある要素の、事実関係を再確認する。

この(1994)年からウイリアムズは、初めてパワステ(=パワーアシスト・ステアリング・システム)を決勝レースに 使用した。
セナとデイモン・ヒルが乗る1994年のウイリアムズのマシン「FW16」は、走行挙動にかなりのナーバスさを抱えていた。
サンマリノGP決勝スタートのグリーンライト点灯後、ベネトンのJ.J・レートが発進できず、
そこへロータスのペドロ・ラミーが避けられずに激しく追突しクラッシュ、
マシンから大量の破片がコース上だけでなく観客席まで飛散し、観客数人が怪我を負った。

そしてすぐにセーフティーカーが入ったが、セーフティーカーの車速は低く、各マシンのタイヤの内圧は低下した。
そして6周目に再スタートが切られた。

イモラ・サーキットの第1コーナー、「タンブレロ」は、比較的穏やかな左回りのコーナーで、
路面が乾いていれば(=雨やオイルで濡れていなければ)、
アクセルは全開のまま、ステアリングを左へ操舵するだけで、誰でも簡単に通過する事が出来る。

ただし、この(1994)年のタンブレロ・コーナーは、路面に大きな段差が3箇所あり、その区間を通過する際に、
セナのマシンは他車と比較して激しくボトミングしており、車体底面と路面の間から多くの火花を散らしていた。

その様子をセナの後方で観て居たベネトンのM.シューマッハは、
「セナのマシンの挙動はナーバスで、(タンブレロ通過中に) 今にも飛び出しそうだった」と証言している。

決勝レース中のファステスト・ラップを確認すると、
セナは6周目に、1分24秒台を記録している。(←筆者のストップウォッチ計測に拠り) このタイムの速さから、
(レース全体の最速は、ベネトンのシューマッハの1分24秒438(43周目)である。)
これにて、再スタート後のセナのタイヤの内圧はそれ単体が事故の直接原因になるほど低くは無かったという事になる。
7周目、セナ車は 約310km/hで タンブレロ・コーナーを旋回していたが、

このコーナーの後半区間に入った所で、セナ車は突如 旋回力を失い、マシンが直進状態となり、
セナは瞬時にフル・ブレーキング、そしてシフト・ダウン(=最大の制動力を得るには、
 ブレーキ前後バランスの配分を最適化する為にシフト・ダウンを行う必要がある)を行う。

前輪は前を向いたままで状態は変わらず、左へ操舵できない状態となっていた。

そして(これは筆者の憶測だが、クラッシュを避けられないと判断し、)セナは頭を思い切り左へ傾けた。
次の瞬間、(タイヤ・バリヤの設置されていない)コンクリート・ウォールへ、斜めの角度でマシンが直撃、
マシンの右側を大破し、 ……コースの横で停まる。

クラッシュした直後からセナに意識は無い様に観えた。 セナの身体は、一度だけ僅かに首が動いた。

その後、医師団から気道確保の為に首の一部が切開され、ヘリコプターでマジョーレ病院へ搬送された。

この時点でウイリアムズ・チームは、「セナの事故原因は不明」としていた筈なのにも関わらず、
同チームはセナと同じマシン(*ステアリング・シャフト以外は)でD.ヒルを再スタートに出走させた。
事故原因が不明ならば、同じマシンを同レースへ再出走させる事はあまりにも危険ではないのか?

そして、再スタート前には、同チームからヒルへ、「パワステの作動をオフにしておく事。」と命令していた。
何故オフにさせたのか?…それはその時点で、パワステが事故原因に起因している可能性を解って居たからでは無いのか?



尚、第3戦サンマリノGP決勝の6周目からのセナのオンボード・カメラの映像から、
ステアリング・ホイールの動きが以前とは異なり、ぐらぐらと不安定に揺れている事が確認できる。
この事から、少なくともサンマリノGP決勝の6周目から、ステアリング系統に異常が発生していた可能性が考えられる。

(もし、この時のドライバーがアラン・プロストならば、リスクは犯さずにスローダウンしてピットへ戻ったかもしれ ない…。)

もし、ステアリング系統に明らかな異常が発生していた場合は、セナがそれを察知できない筈は無く、
その場合は… セナはコース上でのリスクを犯した事になる。

コースアウトの直接原因が、タンブレロ走行中のステアリング・シャフト断裂から起こり、
且つ、セナがタンブレロ進入前にステアリング系統の異変を既に察知して居たのであれば、
この事故の発生は、リスク・マネージメントを誤ったセナの重大な判断ミスと云う事になるが… …真相は果たして?



「他の可能性について」

まず、ウイリアムズのテレメーターに拠れば、セナがトラブルを察知した直後の減速したGフォースは、
通常路面でのフル・ブレーキング時と同等のGフォース(4G以上)を発生していた為、次の一つの可能性は物理上、排除されると思われる。

・「セーフティカーの導入に拠って再スタート後のタイヤの内圧が低くなっており、
  車体底面と路面との距離が接近し過ぎ、路面の大きな段差を通過する際に、路面と車体底面が接触し、
  車体底面での空力ダウンフォースを失い、タイヤの接地力も失い、車体は路面を滑走して直進した。」と云う説。



「未だ少し可能性が残されている説」

・ 路面に落ちていたJ.J・レート車の青い破片(その破片は写真で確認できた)の上をセナ車が通過し、
  セナ車の空力パーツか、または操舵系に必要な何らかのパーツへ影響を与えたと云う説。



尚、1994年の開幕前のテストの時点で、タンブレロの舗装し直された路面の大きな段差が(少なくとも3箇所は有った)、
安全性の面で各関係者から問題にされており、セナ自身もこの件について強く訴えていた。
(この結果は、日本のTV放送では、日本(鈴鹿)GPの放送序章にて放送されている。)

1994年シーズンのF1GPでは、TCS(=トラクション・コントロール・システム)の使用は技術規定で禁止されていたが、
1994年の開幕戦の後、セナは、ベネトン・フォードが何らかの方法でTCSを使用している事を確信しており、
「絶対にベネトンのレギュレーション違反を今シーズン中に証明してやるんだ!」と関係者へコメントしていた。
(当時の電子技術で、走行中にTCSの制御を行い、レース後、即座にTCSのプログラム自体を消滅させる手法が有った。)


ベネトンのM.シューマッハは開幕から2連勝し、20ポイント獲得している一方、
セナは2連戦、連続リタイアを切っしてしまい、シューマッハと20ポイント差で第3戦を向えて居た。

セナがイモラで、あの明らかなステアリング・ホイールの揺れに気付いて居ない筈は無かった。

しかし、このままピットへ戻れば、シューマッハとの差が30ポイントまで広がってしまう。

{− この程度のステアリング強度の不足なら、自分なら何とか最終ラップまで持ちこたえられる −}

そう判断して、セナはコース上でのリスクを犯してしまったのだろうか…?

真実はセナ本人しか知らなかったのかも知れないし、または当時のウイリアムズ・ルノー陣営も事実を知って居るのかも知れない。
後者の場合でも、「知って居る真実」を今後、保身の為に公言する事は恐らく無いのであろう。



 「筆者に拠る仮説」

「セナのマシンが7周目のタンブレロの路面の大きな段差を通過した際に、
 操舵していた前輪からステアリング・ホイールまでの区間に非常に強い力が入力され、
 それに対してセナは強い力で路面からの力へ抵抗し、パワステもそれに加担し、
 結果、抵抗し合う力からステアリング・シャフトの細い部分が破断し、
 (それはコントロール・ライン通過時から11.3秒後の瞬間。上図テレメトリーを参照)
 これで前輪の操舵は出来なくなり、タンブレロを直進、コンクリートウォールに激突した。」


筆者に拠る検証は以上。



ただ、今、最後に筆者が言える事は、セナはもう帰っては来ないという事実である。






(このページの最終更新日: 2009. 6.19金)
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