F1のサスペンション機構についてメモ

text & illustration by tw (2021/ 8/07土〜 2022/ 2/20日)

1993年、マクラーレンのフロントサスの、ロワアーム車体側 接続位置をセンターキール式に。
(下図) モノコックのフットボックス下側の黒い部分がセンターキール。要は、ロワアームを車体と接続する為の、「中央の骨」だ。







マクラーレンは前(1992)年度まで、車体は空力的に明らかに劣勢であり、1993年は事態を打開すべく、コンコルド ノーズを投入した。
それはノーズ先端は低いままだが、その後方が持ち上がっている。
これでモノコックへ直にロワアームを接続できなくなったので、センターキールが採用された。
その後、各チームのハイノーズ化がどんどん進み、2000年代序盤までセンターキールは必須のフロント デザインとなっていた


1994年、フェラーリがフロント サス アームの車体側取り付け方法を、板バネ ジョイントに。デザイナーはジョン バーナード。

以下は筆者による想像図だが、たぶん大体こんな形状であったのだと思う。
(*モノコックへの取り付け部分は、内部は観えないので本当に想像な図。)

(従来のピロボール)



(板バネのジョイント)


従来のピロボールを廃止して、板バネのジョイントにしたが、見事に当たった。バーナードの見抜く力は凄い。革命的だったと思う。
ピロボールと板バネでは、これ程パーツ数が違う! シンプルで超軽量になった。摩擦の問題も無くなる。

当時トップチームだったウイリアムズ陣営から危険だと批判もあった模様だが、翌年からほぼ全チームが板バネ ジョイントになっていたと思う。
私はこういう美しい技術が好きだ。



1994年、中盤のベルギーGPからか? アロウズがフロントにサード ダンパー&スプリングを装着した物を実戦投入した。
(概念図。下図には注釈が必要となる。以下続く。)
下図では、その後に主流となるT字アンチ ロール バー型をスケッチしたが、
1994年にアロウズがまず投入したのは、もう一段階、前方にリンクのある、コの字アンチ ロール バー型であった気がする。
それは精密作動性が保障されているが、やや部品点数が多く、質量が重たいのがデメリットだった。
後にF1では下図の様な、軽量なT字アンチ ロール バー型が主流となっていったと思う。



上図ではコイル スプリングを描いていないが、3本の、どのダンパーにコイル スプリングを装着するかでタイプが3つに分かれる。
1994年のアロウズはまず、3本のダンパー全てにコイル スプリングを装着した様であった。
次に、左右2本のダンパーにコイル スプリングを装着し、センターのピッチ ダンパーにはスプリング装着しない方法もあった。
そして、ピッチ ダンパーにだけ強めなコイル スプリングを装着し、ロールは非常に硬いアンチ ロール バーでコントロールする手法もあった。(1995年にチャンピオンシップを制覇したベネトンがこのタイプだったかもしれない。)

このトリプル ショックは、F1のアロウズが思いついたのが先なのか、アメリカのインディーカーが先だったのか筆者には判らないが、要はコンペンセーターだ。
ピッチ、縦方向を、従来の左右2本のコイル&ダンパーだけが受け持つのではなく、センター ダンパー&コイルスプリングも利用して制御してやろうというデバイスだ。
翌年、アロウズはリヤ サスもトリプル ショックにして、その後、全チームが追従して2021年シーズンまでに至った。



1995年、冬のテストの時からティレルがフロントにハイドロリンク サスなる物を投入した。
詳細は不明のままだが、左右のプッシュロッドを油圧シリンダーに接続し、
車体中央にサスユニット全体にプリロードをかけるコイルスプリングがあり、
いくつかの油圧バルブを用いて色々制御しようとしていた模様。
しかし結局上手く作動しなかったみたいで、シーズン後半は普通のパッシブサスのユニットへ置き換えられた。
あれ一体何だったんだろう???

(3へ続く)

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