もう自身が中高年となると、時代の語り部にならないとなぁ…と思う次第でここに記す。
筆者がF1GPを観始めたのは1990年15戦 日本GPからである。
その為、F1GPへ対するリアルタイムな記憶はその時からである。
1990年15戦 日本GP決勝(鈴鹿サーキット)
予選でマクラーレン・ホンダのA.セナが1位、ポールポジションを獲得したが、
政治的な力でスタート位置は強制的に「路面の汚れたイン側」とされた。
これは当時F1を統括するFISAのジャン マリー・バレストル(フランス人)の陰謀であった。
ポールポジションの路面が汚れたイン側とされるならばスタートで不利であり、ポールを獲る意味はどこにあるのか???
予選2番手のフェラーリのアラン・プロスト(フランス人同士のバレストルと結託していた)は、
マシンに電子制御のトラクション コントロールを搭載していて、車輌のスタートの加速に自信があった。
この状況から、セナはスタートでプロストに先行される事を予期していた。
そこでセナは「もしプロストが先行したら激突してやろう」と決めた。
実際、決勝のスタートはプロストが先行し、セナは遅れ、
そしてセナはフルスロットルのまま1コーナーでプロストのイン側へ突撃する。両者接触、2台共コースアウトした。
ちなみにプロストへぶつかった際にセナのスロットルが全開であったのは、
音を聞いていたコースサイドのカメラマンが証言している。
【ここだけを綴るとセナだけが悪者みたいに聞えるが】、
前年度1989年の鈴鹿決勝レースで、最初にセナへぶつけたのはプロストの方である事を強調したい。
その時、プロストを抜く為にセナはシケインへのブレーキングでインを差したが、プロストが意図的に車体をインへ寄せて両者接触、2台共 停車した。
プロストは予定通りに任務完了した為、すぐにマシンを降りたが、セナは決して諦めずに降りない。
セナはマーシャルからの手助けで、エンジンを押しがけしてもらって再スタートし、
安全の為にシケインをショートカットして、パイロンを避けながら最終コーナーへ復帰、
コースを1周してピットイン、破損したフロントウイングを交換し、1位チェッカーを果たしたが、
サーキットの目立たないエリアで、バレストルとプロストがセナをどう失格にするか密談しているのを、ホンダのスタッフが目撃している。
(これはスポーツとして決して許されない事なのだが……!)
そしてセナは「エンジン押しがけは失格だ!」「シケイン不通過は失格だ!」と、2重の後付けルールで失格とされ、
1989年のチャンピオンはプロストとされた。
そういう出来事の次の年が1990年鈴鹿なので、また政治力による妨害(グリッド位置)を受けたセナは半ばテロ行為に出たのだった。
結果、セナは1990年のワールド チャンピオンを獲得した。
プロストは自身で好きでそうしたのだから当然の報いでもあるとも云える。
このセナの行為は当時様々な論争を呼んだが、翌(1991)年、セナはあの接触は故意であったと正直に認めている。
セナはブラジル人で、F1の本場ヨーロッパから見たら彼は外国人である。
個人の外国人とヨーロッパの人達の政治戦争という図式が、この1989〜1990年程クローズアップされた年は無いかもしれない。
セナはほぼ独りでヨーロッパのF1社会と闘ってワールド・チャンピオンを3回獲得したのである。
尚、セナの本領発揮!!!編については 次ページへと続く。
(2) 6速のみ神がかりの勝利
(3) 死闘モナコGP
(4) 伝説の4台抜きオープニングラップ
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