アイルトン・セナの記憶。(3) 死闘モナコGP

text by tw (2021/ 5/09日)

1992年 Rd.6 モナコGP

ポールポジションは開幕6戦連続でウイリアムズ・ルノーのマンセル。
アドリアン・ニューウェイの空力デザイン、
セミオートマ、
リアクティブサス、
トラクションコントロールを搭載するウイリアムズFW14Bは、明らかな最速マシンだった。

予選タイムは、

1分19秒495 ウイリアムズのマンセル
1分20秒368 ウイリアムズのパトレーゼ
1分20秒608 マクラーレンのセナ
1分20秒895 フェラーリのアレジ

モナコは1周3.328kmの短いコースだったが、これだけの差がついた。
4位に入ったジャン・アレジもモナコ・スペシャリストだ。

決勝レースは、スタートして1コーナーの間までに、3位セナが2位パトレーゼの背後につき、
セナは最後の最後まで気付かれない様にして、1コーナーでインを刺し、2位へ上がった。
セナは初めて実力でウイリアムズ・ルノーの壁を破った。

しかし当然の様に、1周目からウイリアムズのマンセルの完全独走状態となる。
セナは何かが起きるのを願って、ひたすら2位を疾走して居たが、しかしマシンは遅い...。

レース終盤、残り7周だったか、マンセルが緊急ピットイン! タイヤを交換してピットアウトした。
何らかの理由でスローパンクチャー(?)したらしい。所説あるが、トンネル内でリヤが下がったらしい。
セナの位置は!!? マンセルがピットアウト、セナが前だ!!!

両者29秒あった差が、今度はセナが前に居る。
マンセルはファステストを連発してセナを猛追。

この年、タイヤメーカーはピレリが撤退し、グッドイヤーのワンメイク体制。
コンパウンドはAからDまであり、Aが硬く、Dが柔らかい。
マンセルは残り周回数が少ないので、新品のDタイヤへ交換していたと思う。
セナはスタートしてから1度もピットインしていない。ズルズルに滑る中古タイヤで走る。
そこへ最速マシンのマンセルが迫る。

ファステストラップは、

1分21秒598 (74周目) マンセル
1分23秒470 (49周目) セナ

マンセルの予選タイムは1分19秒495だったが、この時期のF1GPは予選用スペシャル・エンジンがあった。
予選は20周くらいしか持たないと思われるスペシャル・エンジンでタイムアタックし、
予選を終えた土曜の夕方から決勝用エンジンへ交換していた記憶。それでこの決勝ファステストタイムだ。

マンセルがセナに追いつき、セナはブロックラインを取る。
ほぼマンセルが進路変更するよりも前にセナの方が先に動いていた記憶。
マンセルは「セナはフェアだった」とレース後に語っている。

神がかったブロックで残り周回数をしのぐセナ。どこからでもオーバーテイクしようというマンセル。
ホンダのエンジニアは無線でセナへ「ボタンを押せ!!!」と叫んで居た。
エンジンの最高回転数の上限を上げる、オーバーテイクボタンである。これを使う程、エンジンの寿命が縮まる。

最終ラップの最終コーナーを立ち上がり、0.215秒差でセナがチェッカー。逃げ切って今シーズン初勝利。
1コーナーを通過したセナのマシンは白煙を上げていた。エンジンと対話できていた。

セナはインタビューで、「セミオートマがなかったら勝てなかっただろう」とコメントしている。
マクラーレンは、この(92)年の第3戦からセミオートマを実戦投入している。
スロットルは電気センサー式で、「ドライブ・バイ・ワイヤ」と呼ばれた。
これはシフトダウン時に、ドライバーがクラッチやスロットルを操作する必要がなく、
車体の電子制御装置が代わりにそれを全てしてくれるシステムだ。
そんな物はタイムの短縮にならないと批判する意見もあった様だが、モナコGPの死闘の勝利に見事貢献した。

(1) 鈴鹿セナプロ接触事件

(2) 6速のみ神がかりの勝利

(4) 伝説の4台抜きオープニングラップ

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