「アイルトン・セナの記憶。(2)」 6速のみ、神がかりの勝利

text by tw (2021/ 5/08土) ・再編集 2025年11月08日(土曜)

1991年 Rd.2 ブラジルGP。
ポール ポジションは今回もマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナ。ポールは彼の「指定席」と呼ばれていた。
決勝レースでもセナはスタートを決めて終始トップを独走。

この時代のF1は、少なくとも1995年くらいまでは、走るにあたりドライバーが車体と格闘する必要があった。
技術レベル的に、タイヤ、サスペンション、シャシーが、ドライバーに対して常に大いに暴れるのである。
ドライバーがマシンを快適に感じる事はまず無かっただろうし、そんな状態でドライバー達は走っていた。

話を1991年のブラジルGPへ戻そう。セナのマクラーレン・ホンダMP4/6は、レース中盤から終盤へかけて、
マニュアルのトランスミッションのトラブルで、使えるギヤがどんどん無くなっていった。
そしてレース終盤には、もう6速しか使えるギヤは残っていなかった。

この時、セナにとって不利な要素が2つあった。
まず、搭載するホンダのエンジンが、前年までV型10気筒であったのに対し、この年からはV型12気筒となっていた。
この時のレギュレーションは、エンジンの最大排気量は3.5リッターまで と定められていたので、
気筒数が多くなる程、1つあたりの気筒の排気量が減少し、同じエンジン回転数でのトルクが減少するのだ。
6速しか使えないのであればトルクが細いエンジンでは、コースを走るのは困難だ。

そしてもう1つは、レース終盤、インテルラゴス サーキットに雨が降ってきた事だ。
雨の影響でコースコンディションは低速域となっていった。
6速しかなくV12の細いトルクで低速コースという最悪の状況...。

セナはこの時、筆者が思うに、
F1では通常使用しない半クラッチを、「燃える寸前まで」多用しながらスロットルを煽り、エンジンの回転数を保ち続け、
走行中のエンジン回転数をトルク バンドの中に収めていたのだと想像している。
でなければ6速だけであんなラップタイムでは走れない。

尚この時のマクラーレンMP4/6は、前進6速のマニュアル・トランスミッションであり、
フットボックスの左側から、クラッチペダル、ブレーキペダル、スロットルペダルがあって、これを足で操作する。
シフトレバーはモノコック右側にあり、右腕で操作する。
つまりコーナリング中に左腕のみで重いステアリングホイールを操作している時間があり、これが非常に体力を消耗する。
パワーアシスト・ステアリングなんか無い時代だ。

エンジン ブレーキが効く強さは、ギヤ段数で変わる。1速で最も強く作用し、6速が最も弱い。
つまり、6速オンリーでの走行では、通常よりも更に強いブレーキ踏力が必要だったのだ。
(もしかしたらセナは体力を持たせる為に、左足でもブレーキングしていたのかもしれない。筆者の想像だが…。)

このブラジルGPの後日、フェラーリが6速のみの走行が可能なのか?をテスト走行をしてみて、不可能であったとコメントした。
3度のワールド・チャンピオンのネルソン・ピケに至っては、「(6速のみでの走行など、)そんなもの、嘘だ。」と断じていた。
しかし、セナはオンボード映像で判る通り、それを実際にコース上でやってのけたのである。

レース途中、下位チームの新人ミカ・ハッキネンが、セナの後ろを走るシーンがあった。
セナの走りを観たハッキネンの感想は、毎周毎周、ライン取りがあまりに正確過ぎて驚いた、というものだった。
あのクルマの状態で、セナはそれをやってのけた。
でなければ、そろそろ2位のパトレーゼに追いつかれてしまうからだ。彼にトラブルを気付かれてはならない。

1991年ブラジルGP結果、優勝アイルトン・セナ。2位ウイリアムズのR.パトレーゼ。3位マクラーレンのG.ベルガー。

チェッカー後、S字でセナの絶叫が世界中のテレビに流れた。
この時、マクラーレンの無線メーカーはケンウッドであったが、
マクラーレン陣営は「という事は、極秘の無線が漏れていたんじゃないか!!!」と騒然の模様であったらしい。

本当に完全に体力を使い果たしたセナはバックストレートでマシンを停め、身体を動かせず、マシンから出られなかった…。
もの凄い永い時間、マシンから出てこれなかった………。そんな力は残っていなかった。

何とかオフィシャルカーに乗って表彰台に辿り着くも、優勝トロフィーが持ち上がらない。気合で何とか持ち上げた。
あの日、サンパウロの大地が雨で泣いていたのを34年経った今でも思い出す。


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