アイルトン・セナの記憶。(2) 6速のみ、神がかりの勝利

text by tw (2021/ 5/08土)

1991年 Rd.2 ブラジルGP
ポールポジションはマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナ。
決勝レースでもセナはスタートを決めて終始トップを独走。

この時代までは… 少なくとも1994年か95年までは、走るにあたりドライバーが車体と格闘する必要があった。
タイヤ、サスペンション、シャシーが、ドライバーに対して常に大いに暴れるのである。
ドライバーがマシンを快適に感じる事はまず無かった。そんな状況で彼等は走っていた。

最速マシンであった筈のウイリアムズ・ルノーのナイジェル・マンセルは、
レース途中でセミオートマチック・トランスミッションの不具合か何かで、
S字の1、2コーナーでスピンしていた映像が筆者の記憶に残っている。
ウイリアムズ・ルノーFW14は、この1991年からセミオートマチック・トランスミッションを初めて実戦投入していた。

しかし、セナのマクラーレン・ホンダMP4/6も、レース中盤から終盤へかけて、
マニュアルのトランスミッションのトラブルで、使えるギヤがどんどん無くなっていった。
レース終盤は、もう6速しか使えるギヤは残っていなかった。

この時、セナにとって不利な要素が二つあった。
まず、搭載するホンダのエンジンが、前年までV型10気筒であったのに対し、91年からはV型12気筒となっていた。
この時のレギュレーションが、エンジンの最大排気量は3.5リッターと定めていたので、
気筒数が多くなる程、一つの気筒の排気量が減少し、
同じ回転数でのトルクが減少するのだ。6速しか使えないのであればトルクが欲しい。

そして、レース終盤、雨が降ってきた事だ。
雨の影響でコースコンディションは低速になっていった。6速しかなくてV12の細いトルクでは厳しい。

セナはこの時、筆者が思うに、F1では通常使用しない半クラッチをしながらスロットルを煽り、エンジンの回転数を保ち、
走行中、回転数をトルクバンドの中に収めていたのだと想像している。でなければあんなラップタイムで走れない。

ちなみに、この時のマクラーレンMP4/6はマニュアル・トランスミッションであり、
フットボックスの左側から、クラッチペダル、ブレーキペダル、スロットルペダルがあった。これを足で操作するのだ。
シフトレバーはモノコック右側にあり、右腕で操作する。
つまり左腕のみで重いステアリングホイールを操作している時間が長い。コーナーで大いに体力を消耗する。

このブラジルGPの後日、フェラーリが6速のみの走行が可能かテスト走行をしてみて、不可能であったと証言した。
ネルソン・ピケに至っては、「(6速のみでの走行など、)そんなもの、嘘だ。」と断じていた。
しかし、セナはそれを実際にコース上でやってのけたのである。

1991年ブラジルGP、優勝アイルトン・セナ。2位ウイリアムズのパトレーゼ。3位マクラーレンのベルガー。

セナの絶叫が世界中のテレビに流れた。
この時、マクラーレンの無線のメーカーはケンウッドであったが、マクラーレンの技術陣は騒然としていた様だ。
これからマクラーレンは無線のセキュリティの向上に努める事になる。

体力を使い果たしたセナはウイニングラップでマシンを停め、マシンから出られなかった。
オフィシャルカーに乗って表彰台に辿り着くも、優勝トロフィーが持ち上がらない。気合で何とか持ち上げた。
あの日、サンパウロの大地が雨で泣いていたのを30年経った今でも思い出す。

(1) 鈴鹿セナプロ接触事件

(3) 死闘モナコGP

(4) 伝説の4台抜きオープニングラップ

[ Site TOP ]